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【 子育てと親の勉強 】 親子の信頼関係をどう育てるか > 親子の関係

親子の関係

親の見識はどこへ行った?子どもの安全を守るのは、親の責任 -2

親の見識はどこへ行った?子どもの安全を守るのは、親の責任 -2


子どものキャンプで、子どもたちと一緒にハイキングに出かけたとしましょう。

ああ、ここはちょっと危険だな、特に注意を促した方がいいな、そう感じる箇所に出会ったとしましょう。

私の「危険予知能力」が働いた瞬間です。
まず立ち止まるよう指示を出します。そして子どもたちに話しかけます。

私は自分が立つ位置、姿勢、表情、視線、目の動き、声の大きさ、声の表情などに気を配って語りかけます。

「先日の雨で道が少し崩れているね。特別に注意をしてこの箇所を通り過ぎよう。足下に注意して歩けば、特に危険はないだろう。一人ひとりが注意するんだよ」

「OOリーダーがこの箇所に立ってみんなが通り過ぎるまで、必要なら手を貸すからね。私が向こう側に立って手を貸そう」

「XXリーダーが先頭を歩く。みんなが通り過ぎるまで、歩くスピードを少し落とそう。みんなが通り過ぎたら、休憩にしよう」


私の「危険回避能力」が試される時です。

子どもたちに話しかけながら、私は一人ひとりの姿勢や表情に細心の注意を払っています。私の語る言葉が、子どもたち一人ひとりの心の中へ染み込んでいくのを確認します。

子どもたちの意識が危険回避へと働くのを、彼らの表情や目の動きを観察して確認します。

実際の行動に移るのは、確認ができてからです。

相手が今、ここで、どんな気持ちを味わっているかに常に注意を注ぎます。

「自分の安全は自分で守る」しっかりと覚えていただきたいし、実践していただきたいと願っています。


自分の子どもの安全を守るのは、親の責任ですね。
やはり、「親が変わらなければ」、と考えます。


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親の見識はどこへ行った?子どもの安全を守るのは、親の責任

親の見識はどこへ行った?子どもの安全を守るのは、親の責任

六本木ヒルズ 回転ドア 挟まれ死亡 入学直前の6歳男児
東京・六本木の「六本木ヒルズ」森タワーで涼ちゃん(6つ)が自動回転ドアに頭を挟まれて死亡するという痛ましい事故が発生しました。

調べによると、涼ちゃんは母親の前方を歩きながら、ビルの内部に入ろうと、閉まりかけた回転ドアに近づいた際、ドアとガラス壁の間に頭をつっ込んだ。

事故に気づいた母親と通行人がドアを逆回転させて涼ちゃんを救出したが、ぐったりとした状態だったという。
(産経新聞の記事から引用2004/3/27)


涼ちゃんは小走りで頭からドアへ駆け込んだため、センサーが感知できなかった可能性がある。
回転ドア事故 頭部に800キロ圧力 センサー死角、感知せず
これらは同事故を報道する新聞の見出しです。

危険防止のために設置された赤外線センサーに死角があり、・・・
警視庁捜査一課は構造上の欠陥の有無などについて関係者から事情を聴いている。

自動回転式ドアはここ数年、設置される建物が多くなっているが、・・・
・・・公的な何千基準はないといい、・・・
安全システムは各メーカーが独自に開発しているのが現状という。
(産経新聞の記事から引用2004/3/28)


この記事を目にして、みなさんはどのように感じられたでしょう。何を考えられましたか?

またまた、親の姿が見えてこないな、私はそう感じました。

またまたというのは、数年前に起きた明石の花火見物の事故を思い出したからです。あの事故でも幼い命がたくさん失われました。

遺族や遺族代表などとマスコミに登場する人たちはいますが、彼らは「親としての自分の責任」については一切触れません。主催者、警備会社や警察を追求する姿ばかりが報道されます。


私は自分のサイトでも、あの事故について触れました。
「親の見識」はどこへ行ったのかと問題提起しました。
「自分の安全は自分で守る」ごく当たり前のことです。

今回の事故の報道の中に、東京へ単身赴任の父親を母親と一緒に訪ねた際の事故と報道されています。

お恥ずかしい話しですが、私はまだ自動回転ドアを知りません。実際に見たことがありません。科学の進歩と共に、私たちの生活がどんどん便利になってきています。ドアの前に立ちさえるれば、ドアが自動的に開くなんて私たちの子どもの頃には考えもしなかったことです。

同時に私たちから「考える力」を奪う結果になっています。


このドアは右へ開くようだ。どのくらいの力で引けば、開くのかな?軽く開くのか、かなりの力を掛けないと開かないのかすら、やってみないとわかりません。とにかくやってみよう。

そして力を掛ける強さを自分で考えて、判断して実際に行動しながら調整します。ドアを開くだけの動作の中で、自分で考えながら実際にやってみる行動を無意識にしているのです。

同時に人間の側には、「自分の安全を自分で守る」責任が重くのしかかってくるようになりました。

子どもの視野が大人に比べ、極端に狭いことは周知の事実です。

大人には見えるものも、子どもには見えない、よくある事実です。

まして、幼い子どもにとっては東京へ出てくるだけで興奮状態に置かれています。大人ですらそうでしょうから。周りに目が行き届かないことは目に見えています。

彼にとって非常に興味をそそる存在、それが自動回転ドアだったのでしょう。このドア以外には何も見えない、何も聞こえない状態です。

周囲に気を配ることもできません。気をつけないと危ないかも知れないと考える余裕などまったくない状態です。

実は、こんな時こそ親の出番なのです。親の見識が問われる瞬間です。
親が「危険予知機能」を働かせる時です。子どもの手をしっかりと握る瞬間です。



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親子の関係

親の生き方を見つめる。 -2

親の生き方を見つめる。 -2


■専門の勉強なしで、人を教える
日本のスポーツの世界を見ていると、どうしても解せないことが数多くあります。

例えばプロ野球、選手としての実績を持つ人が、いきなり監督、コーチの職に就きます。そして、失敗の例は後を絶ちません。コーチになったのだから、選手に教えなければならないと思い込みます。

そして、あたかも自分の持ち物のように選手をいじり回すのです。
「ああしろ」「こうしろ」と口やかましく、選手を追い立てます。自分流を無理矢理相手に押しつけるコーチが多いようです。

「形」にはめようとします。選手を束縛します。自分はこのようにして、これだけの成績を残したのだから、おまえも同じようにやれと押しつけるのです。

プロ野球の世界でも、せっかく良い素質を持ちながら、コーチにいじられてつぶされた選手が多いと聞きます。


コーチの無理強いをはねのけて、アメリカへ渡り、自分の力だけを信じて成功した野茂投手がいます。 彼が切り開いたと言っていいでしょう、メジャーリーグへの道を、長谷川、吉井、佐々木投手らが続きます。



■子育てにも、専門の勉強が必要
このような記事に接するたびに、私はこどもを持つ親の姿がだぶって見えます。

親になるための勉強を何もしないまま、気がついたら子どもの親になっているのです。何とか子どもを育てないといけないと子育ての奮闘が始まります。
しかし、専門的な訓練を受けた経験がないから、知識も経験もありません。


自分が親に育てられたように、自分の子どもを育てようとします。

どんな子どもに育てるかという、明確な目標すら持たないで子育てを続ける親が多いのです。ああでもない、こうでもないと子どもを自分の持ち物のように考えていじくり回します。


子どもを「一人の人間」として受け止めてやってくださいと私は訴えたいです。


■自分の生き方を見つめることから
自分ができることと、人を指導することは、まったく次元の違う問題だと私は考えています。

コーチになるのなら、まず「人間」「人間の行動」「人間の心理」「グループ」「リーダーシップ」などに関する勉強を始める必要があるでしょう。


次にコミュニケーションの取り方、話す、聞くの勉強が必要です。

自分の考えを相手に分かるように、言葉でしっかりと伝えることができなければなりません。

言葉による自己表現能力を磨くということです。そして、自分の専門の技術を相手にコーチするための、専門的なコーチ学の勉強が必要です。


これは、親の場合にもまったく同じことが言えます。

まず親が勉強しなければなりません。

一人の人間としての、自分の生き方を見つめることから始める必要があるでしょう。

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親の生き方を見つめる

親の生き方を見つめる


親のみなさんへの、私からの質問です。

・自分の子どもが、「自分で自分を律する子ども」になって欲しいと考えませんか?

・自分にとって何が正しいかを、思慮分別をもって自ら判断できるような子どもになってくれたらと願いませんか?

・こういう人になりたいと自分自身が思うような人間になってもらいたい、と考えませんか?


自分の面倒は自分で見る、自分で自分のことを決め、自分で自分の行動に責任を持つことができる子どもということです。
言葉を換えれば、「考える力」「生きる力」を身につけた子どもと言えるでしょう。



■自分が決めて、実行する
古い話になりますが、シドニーオリンピックの選考会で派遣から漏れてしまった、水泳、自由形の千葉すず選手の言葉を借ります。

「日本なんかでグチュグチュ悩んでいるんだったら、出かけてみるといいですよ。経験したらいいんですよ。ただし絶対にひとりでね。友達なんかと一緒じゃんなくって。誰でも心が広くなりますよ。それまで、いかに自分がちっぽけなことで悩んでいたかがわかりますって」
そして、彼女はアメリカで自分の生き方を見つけています。


ここで私が思い出すのは、スピードスケートのオリンピック代表だった黒岩選手、どうしてもいい成績が残せなませんでした。オリンピックでは惨敗します。

その後、彼は一人でヨーロッパを転戦します。飛行機その他の移動、ホテルの手配、トレーニングの場所、練習相手を見つける、ゲームのエントリーなどすべてを自分でこなしてきました。

そして、見違えるほど強くなって帰ってきました。次のオリンピックでは銀メタルに輝きます。その彼が長野オリンピックではスピードスケート日本代表の監督を務めました。


スピードスケートの清水選手、スキージャンプの船木選手など、同じように一人で外国へ出かけ、生活からトレーニング、競技会へのエントリーなど、自分で自分の面倒を見ながら確実に競技者としての力をつけています。


プロ野球の世界では、高校を中退して一人で自分の道を切り開いたメジャーリーグのマイク鈴木投手がいます。

これは私の推測ですが、一人の人間としての成長も彼らには必ず見られるはずです。

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子どもの人格を尊重する。 -2

■人間と行動を、分けて捉える
「旅の2日目、朝のつどいで、Aグループが集合時間に遅れました。
私は『集合時間に10分遅れたね』と『事実』だけを示しました。

遅れたという事実を、当事者であるAグループにフィードバックしたのです。
遅れたのは事実です。 私の価値観を押しつけてはいない。決して非難していない。批判もしていない。評価もしていません。


自分のとった行動の『事実』を示されると、本人は受け入れざるを得ないのです。
ここで大切なことは、相手の「人間と、行動を分けて捉える」ことです。
フィードバックするのは、行動に関してのみです。 人間の部分には、一切触れません」


「事前研修でも、おしゃべりをしている子どもを私が叱りました。
だが、相手に『事実』を伝えただけで、批判も非難もしていません。相手を責めてもいないです。

次の朝、一緒に食べましょうと私に声をかけてきたのは、叱られた子どもたちでした」


■上下関係では、問題は解決しない
「多くの親や教師は、事実を伝える替わりに、自分の価値観を相手に押しつけます。
非難したり、批判したりします。自分の価値基準で評価し、相手を攻撃し、責めます。
相手の行動だけではなく、相手の人間をも責めたり、叩いたりしていないでしょうか」


「その場合、親や教師の気持ちの中には、何とかして子どもを自分の思い通りに操作しよう、コントロールしようという強い意志が働いています。

子どもにとっては、外から圧力を加えようとしています。
兄弟や他の子どもたちとの比較を、口に出したりします」


「これは確実に上下の関係です。親や教師の立場を笠に着て、権威を振り回しています。
相手に事情の説明をするチャンスすら与えていません。
相手の気持ちや感情の動きなどは、まったく無視されます。


親や教師が気にするのは、自分の怒りの感情だけです。
このような状況の下では、お互いの信頼関係を結ぶことができるはずがありません。
お互いの人間関係を悪くしているのは、子どもの側ではなく、親や教師、大人なのです。その結果、子どもの心は確実に親や教師から離れていきます」


(子どもの人格を尊重する子育て へ続く)

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子どもの人格を尊重する

子どもの人格を尊重する

■親が変わると、子どもが変わる
「一つ秘訣をお教えしましょう。子どもがリーダーをどう思うかより、
『リーダーが子どもを信じ、何を期待するかがより重要』なのです」
「リーダーを親に置き換えても、同じことですね」
「そうです。まったくその通りです」

「あとは、信頼していることを相手に伝え、期待する気持ちを伝えることです。
そして、心を込めてじっと見守ります。口を出したくても、じっと辛抱することです。
まず、親が変わることです。大変な努力が必要でしょうが、やりがいのある仕事です」

「子どもは確実に変わるでしょう。彼自身の意志で決断して。親の自分に対する信頼と期待に、応えようとするでしょう。なぜ子どもが変わるのかというと、親の変化を敏感に感じ取り、見抜くからです。親の努力を受け入れるからです」

「親の側の辛抱が足りないようです。すぐに口を出します。その時、私は必ずイライラしています」 「じっと辛抱することを、覚えましょうよ」
「そうですね。先生を見ていると、じっと辛抱されているなと感じます。私ならもう既に口を出しているでしょう」


■子どもを、「人間として認める」
「事前研修で、私の指導理念に触れましたね。
1 相手を人格として尊重する (#18 相手の人格を尊重する)
2 人間の持つ無限の可能性を信頼する (#11 考えて、行動するプロセスを通じて学ぶ)
3 社会環境によって、人間は成長し得ると確信する この3つです」
(私の3つの指導理念)

「自分の子どもを独立した「人間として認める」ことが、親にはなかなかできないようです。それに、教師は必ず上下関係で、生徒を見ます。彼らには生徒を人間として認めることなど、できるはずがありません」

「『一人前の若い大人』としてつき合うつもりだと、私は子どもたちに話しました。同じ立場に立つということです。『子どもと同じ目の高さに立つ』姿勢を示しています。上下関係ではないという意味です。対等な立場で、双方向のコミュニケーションを持つつもりだということです」
「子どもの人格を尊重するということですね」
「そうです。その姿勢を持つことが、信頼関係を育てる基本です」

親子の関係

子どもは今、どんな気持ちを味わっているだろうか。 -2

「こうしなさい」「こうしてはダメ」
という言葉を聞く時と、子どもの気持ちや感情がまるで違うと思いませんか。
親子の間に言葉のキャッチボールができている、そう思いませんか。


コミュニケーションが成り立っている、と言えるでしょう。
親と子どもが対等な立場で会話しています。


”子どもの人格を尊重する子育て”、を親が実践している場面です。

そうです。繰り返しになりますが、親が子どもへの言葉を発する前にちょっと意識するのです。


そして、いつも無意識に口にする言葉を飲み込むのです。
そして、言い方を変えてみましょう。


気がつかれたでしょうか。
"人間\"と"人間の行動"を分けてとらえていることを。

気をつけるのは、相手の行動に対してだけフィードバックすることです。


子どもの「行動の事実」を、そのまま子どもに返してやるのです。
事実ですから、子どもは受け容れざるを得ません。


「次はこうしなさい」と、親が子どもの行動を決めるのではない、
親が決めてはいけない、と親が意識することです。


行動する本人の意思決定に委ねるのです。親の強い意志が要求されます。

気がつく前に「ダメ」という言葉が無意識に口から出ていた、ということがないようにしましょう。

やはり、親が変われば子どもも変わる。
親が変わらなければ、子どもは変わらない、ですね。


親子の関係

子どもは今、どんな気持ちを味わっているだろうか。

子どもは今、どんな気持ちを味わっているだろうか。

古い話になりますが、産経新聞3月22日のアーリーウォーニング!に、
KFi代表木村剛さんの興味のある記述を見つけました。(2004年)


タイトルは「ウェブログと情報民主主義」
・・・"ウェブログVsニューヨーク・タイムズの戦いは、
どちらに多くトラックバックされるかで勝負が決まる。
・・・ウェブログにおいては投票数の多さが情報価値を決めることになるので、
ウェブログはきわめて民主主義的な情報伝達手段だともいえる。"


ここまではいいとして、次の記述を引用すると、
"情報の受け手が情報の価値を決めるということは、
考えてみれば当たり前のことだ。このままウェブログが普及していけば、
情報の価値は情報の出し手ではなく情報の受け手が決定するという
現実が表面かしてくると思われる。"

"情報の受け手が情報の価値を決めるということは当たり前のことだ。
このくだりです。



「話す側ではなく、話しを聴く側がその価値を決める」という私の主張と同じではないか、
と受け止めました。


親が子どもに何を言うか、どういう言い方をするかではなく、
子どもが親の言葉をどのように受け止め、何を感じるか、
何を考えるかが大切なのですよと言ってきました。


親の言葉をどう受け止めるかは、子どもの手にかかっているのです。


「○○しなさい」「○○してはダメ」毎日のように親から絶えず浴びせられるこのような言葉を、
子どもがどんな気持ちで耳にし、何を感じているか、
相手の気持ちを受け止めてあげましょうよ、と私は言いたいのです。


「だめねえ。またやったの。何度言えばわかるの」なんて追い打ちは、
まさかしていないでしょうね。


「あなたってダメね」これ以上残酷な言葉はありません。まさか・・・
精神的虐待と言ってもいい言葉です。
"子どもは存在そのもの"を否定されたのですから。



親は子どもへの言葉を発する前に、まず意識して欲しいのです。

この言葉を自分が発することで、子どもはどんな気持ちを抱くだろうかと。

子どもの気持ちや感情への配慮を忘れてはならない、と私は訴えたいのです。


ちょっと言い方を変えてみましょう。
「また失敗しちゃったね」
これは子どもの行動の事実だから、本人は受け容れざるを得ません。


親は\"子どもの行動\"にフィードバックしただけです。
親は子どもの行動に対して、批判も評価も判断もしていません。


「○○チャンが失敗するのを見て、ママは悲しくなったのよ」
親は自分の率直な感情を言葉で表現し、子どもに伝えます。


子どもは自分の失敗が、親にどんな影響を与えるかを理解します。
「どうしたら、良かったかな?」
あなたが自分で考えてごらん、と子どもに判断を委ねています。
自分で自分の次の行動を決めることを、奨励しています。


それ以前に、子どもは発言のチャンスを与えられています。
これまでになかったことです。
「こうしたら失敗しなかったと思う」
子どもは自分で考え、自分で判断し、自分で選択し、自分で決めるチャンスを与えられ、そのチャンスを活かします。


「じゃあ、次はそうしてみようよ」
子どもは自分の意志決定が、親によって認められ、支持されたと受け止めます。

おまけに親から励ましの言葉を得ることができました。
勇気が湧いてくるのを感じます。
「ちゃんと見ててよ。やってみるから」

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聞く姿勢が、人間関係を育てる

沈黙の時間にも、話し手の意志が聞こえる

  話の途中に沈黙の時間が流れたりすると、
聴く側が耐えきれなくなり口を出す場合が多いようだ。
今沈黙の時間が流れているが、なぜだろうと考えるといい。


 彼は今どのように話を展開しようかと考えながら苦労をしている。
彼は今懸命に言葉を選んでいる。聴き手に聴く気持ちがないので、
彼にはもう話を続ける気持ちがなくなった。それぞれに理由があるはずだ。


  本人をしっかり観察する姿勢を持つと、沈黙の時間の意味が分かるようになる。
相手の次の言葉が出てくるまで、じっと見守りながら口を出したくなる
自分の気持ちを抑えることを、ぜひ憶えたい。


「聴く」姿勢が、人間関係を育てる

  家族で話し合う、友だち同士が数人で話す、などグループで話し合うときには、
「彼の話を最後までしっかり聞こうよ」と誰かが注意すればいいだろう。
グループの約束事にしてもいい。


  グループのみんなが自分の話をしっかりと聴いてくれる。
説明不足や言葉の意味の取り違えなど、分からないところは後で正直に分からないと
意思表示してくれる。補足説明のチャンスを与えてくれる。


  私はこのグループのメンバーとして受け入れてくれている。
私は他のメンバーに愛されている。このように感じることができると、
グループの他のメンバーと一緒にその場にいることが楽しみになる。
グループ内で安心感を憶えるようになる。


 言葉を換えると、グループの人間関係が育ってきたと言えるだろう。
相手の話をしっかりと聴くという姿勢は、お互いに相手を尊重する態度であり、
お互いの人間関係を大切に受け止める姿勢として欠かすことができない。


  「いい聴き手になるように」相手との人間関係を大切に考えるなら、
この言葉を忘れないようにしたい。

親子の関係

子どもの話をとにかく聞くことから


聞いてくれる人がいると 話す気持ちになる

 自分をしっかりと受け止めてくれる人がいると、
また自分の話をしっかりと聞こうとしてくれる人がそこにいると、
本人は話をしようという気持ちになる。


 それとは逆に、先回りをして話の途中で口を出したり、
話題を相手から取り上げたり、話の腰を折るような人が相手では、
誰もが話をする気持ちを失うだろう。もう話をしたくない、と思うだろう。


 相手が話を続けるのを励まし、相手の気持ちを支え、
相手の次の言葉を待つ強い意志が聞く側には必要である。
これらの動作は、「私は、あなたの話をしっかり聞こうとしていますよ」、
という無言のメッセージを話し手に送ることになる。
話を聞く側の責任であり、聞き方の基本姿勢でなければならない。


聞く側に問題がある
 受け止める側、話を聞く側が相手の話を潰している場合が
非常に多いように思えてならない。


 相手の話にどう反論しようか、私は彼にこれだけは話したい、
これだけはきちんと言い聞かせなければ、何とか自分の意見を彼に伝えたい、
自分の思うように相手を納得させたいなどと、
自分の気持ちを考えている場合が多いのではないだろうか。


 また相手の発する言葉から、聞く側が自分勝手に連想ゲームをしている場合がある。
このような状態にあるときには、相手の話は音としては聞こえているが、
話の内容をしっかりと掴むことは難しい。


まずグラスを空にする

 このように話を聞く側が自分の気持ちを優先しているということは、
相手の話を聞く姿勢がないと言ってもいい。話す相手を尊重する姿勢、
とにかく話を聞こうとする謙虚さに欠ける姿勢であると言えるだろう。
人の話の聞き方としては、非常にまずい方法である。


 子どもの話を聞く親の立場、生徒の話を聞く教師の立場にある人は、
特に注意したい態度である。
無意識のうちに相手と自分を上下関係で捉えようとしていないか、
振り返って見ていただきたい。 ちょうど水を満たしたグラスに、
さらに水を注ごうとするようなものである。注いだつもりの水は、そのままこぼれ落ちるだろう。


 相手の話をしっかり聞くには、まずグラスを空にしなければならない。
全神経を話す相手に集中し、何が何でも聞くのだという強い意識を持つことである。


 相手はあなたのこのような心の状態を敏感に感じ取る。
ああ、相手は私の話を聞く姿勢がないのだと受け取る。この相手に話をしても無駄だ。
どっちみちすぐに細かい点に、ちょっとした言葉尻や言葉の使い方、
話し方に反論してくるだろう。
このように受け止めて、相手の話す意欲はそがれることになる。


 子どもが親に話さなくなったと感じるなら、親は自分の態度を振り返ってみる必要がある。
子どもが話そうとしない原因は、多くの場合親の側にある。
親の話を聞く姿勢にあると言える。




プロフィール

Author:kenm77
40年にわたって、私 松田 虔(けん)は、人間教育の経験、指導理念の確立、社会教育現場での専門的な指導経験、 多岐にわたる指導者育成の経験を積み重ねてきました。

子どものキャンプの専門家として、40年間指導と企画運営に携わってきました。

そして、青少年育成の半分は親と指導者の育成であると認識し、指導者の育成にはことのほか力を注いできました。


家庭教育の場に置き換えれば、子どもにとっては指導者である
親のあり方、姿勢、心構え」が、
そして「親の生き方」が、
子どもがどのような人間に育つかの鍵を握っていると言えます。

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